技術は進歩していたのに、なぜ組織は縮小したのか

~デバイスエンジニアとして見た日本半導体の転換点~

近年、AIや先端半導体の話題により、日本の半導体産業が再び注目されています。
一方で、
「なぜ日本の半導体産業は衰退したのか」
という議論も数多く見られます。
私は1980年代前半から後半にかけて、半導体メーカーの開発センターでデバイスエンジニアとしてCMOS開発に携わりました。その後は自動車部品メーカーに移り、ベアチップやセンサ用ICの開発・量産化にも従事しました。
しかし今振り返っても、一つだけ不思議に感じることがあります。
私には当時、日本の半導体技術が停滞しているようには見えなかったのです。

デバイスエンジニアとして見ていたもの

デバイスエンジニアは単にトランジスタ構造を設計するだけではありません。
回路設計、プロセス開発、信頼性評価、生産技術など多くの技術者と協力しながら、
・デバイス構造設計
・プロセス統合(Integration)
・特性評価
・信頼性評価
・製品開発管理
を行います。
性能、歩留まり、信頼性、生産性のバランスを取りながら製品として成立させる役割です。
私はそうした立場から、次世代デバイスや半導体技術の方向性を見ていました。

2μm以下は不可能と言われた時代

現在では1μmを超えるプロセスは大きく見えるかもしれません。
しかし当時は、
「2μm以下は本当に実現できるのか」
という議論が真剣に行われていました。
MOSトランジスタには、
・短チャンネル効果
・ホットキャリア劣化
・ソフトエラー
・耐圧確保
・エレクトロマイグレーション耐性
など多くの課題がありました。
そのため、
「2μm以下は無理ではないか」
という悲観論も存在しました。
しかし、多くの技術者による研究開発の積み重ねによって、最終的に1.3μm CMOSプロセスの開発に成功しました。
私自身もその開発に深く関わることができました。
ソフトエラーについては、実際にアメリシウム線源を用いた評価実験を行うエンジニアもおり、将来の高集積化を見据えた研究が進められていました。
しかし技術者たちは諦めませんでした。
研究開発の積み重ねによって1.3μm CMOS開発に成功し、さらにその先の世代も見据えていました。

微細化を支えた電源電圧低下

現在ではLDD構造がホットキャリア対策として語られることが多いと思います。
もちろんLDDは重要でした。
しかし私が振り返って特に大きかったと思うのは、
電源電圧を下げる決断
です。
当時はTTL互換性のため5V動作が一般的でした。
しかし微細化が進むにつれて、5V動作ではホットキャリアと耐圧問題が急激に深刻化していきました。
そこで、
・電源電圧そのものを下げる
・外部インターフェースは互換性を維持する
・必要に応じてチャージポンプを利用する
という方向へ進みました。
私は今でも、
LDD導入と並んで、電源電圧低下がその後の微細化を支えた最大の要因の一つだった
と思っています。
もし電源電圧を5Vのまま維持していたら、その後のプロセス開発ははるかに困難になっていたでしょう。
ホットキャリアやソース・ドレイン耐圧の問題が大幅に緩和されたことで、その後の世代のプロセス開発は比較的進めやすくなったように感じています。

技術革新は止まっていなかった

当時の開発現場では微細化だけが進んでいたわけではありません。
・LDD構造
・ホットキャリア対策
・エピ成長基板技術
・バリアメタル
・サリサイド技術
など、多くの技術が次々に導入されました。
振り返ると、この時代は単なる微細化ではなく、
デバイス、配線、コンタクト、基板、信頼性のあらゆる分野で技術革新が進んでいた時代
だったと思います。

技術は完成品ではなく現場で育てられていた

当時の開発現場では、新しい技術が次々に導入されていました。
しかし、それらは最初から完成された技術ではありませんでした。
フォトリソグラフィ工程では、一対一のプロジェクションアライナーが主流で、多くの女性オペレータがマスクアライメントを担当していました。
しかし生産量の増加に対応するため、ミラープロジェクションアライナーの自動機が導入されました。
この装置は人手換算で10人分以上の能力を持っていました。
ところが頻繁に故障しました。
フォト工程はほぼ全てのロットが通過するため、装置が停止すると大量のロットが滞留します。
その結果、再び7~10人ほどの女性オペレータが手動でマスクアライメントを行い、生産を支えていました。
イオン注入工程でも同様でした。
当時はデポ拡散から大電流イオン注入への移行期でした。
大電流イオン注入装置は処理能力こそ高かったものの故障も多く、ロットが工程内に滞留することが珍しくありませんでした。
現在では高信頼性の装置が当たり前ですが、当時は試行錯誤の連続だったのです。

ドライエッチング導入期の苦労

エッチング工程も過渡期でした。
主流はまだウェットエッチングでしたが、高精度加工が必要な工程のゲート形成エッチングやコンタクトホールエッチングではドライエッチングが導入され始めていました。
私が現場実習で担当した装置では、シリコンのトレンチ形成に四塩化炭素(CCl₄)と酸素(O2)を用いたプラズマドライエッチングが使われていました。
現在から見ると非常に初期のドライエッチング技術です。
当時、酸素流量は四塩化炭素流量の約10分の1しか必要ありませんでした。
しかし両方とも同じレンジのマスフローコントローラー(MFC)が使われていました。
そのため酸素流量の制御精度が悪く、エッチング条件が安定しませんでした。
私は実習レポートでその問題を指摘しました。
するとすぐに適切なレンジのMFCへ交換され、流量安定性が改善されました。
この経験から強く感じたのは、
当時の会社には現場の声を素直に取り入れる文化があった
ということです。
新入社員であっても、良い提案であれば検討され、改善につながりました。

最先端工場の10年先を開発していた

私が所属していた開発センターは、最先端量産工場の約10年先を見据えて量産機で研究開発を行う組織でした。
そこでは、
・1.3μm CMOS
・0.8μm CMOS
・0.3μm世代研究
・4M DRAM
・パイプラインCPU
・分割診断
・故障辞書
・シリコンコンパイラ
などが研究されていました。
シリコンコンパイラは、回路仕様からLSIレイアウトを自動生成しようという構想であり、現在のEDAツールや自動レイアウト技術の先駆けとも言えるものでした。1980年代当時としては非常に先進的な研究でした。私たちはプロセス開発だけでなく、将来のLSI設計のあり方そのものを議論していました。
 
少なくとも現場の技術者たちは、
「次は0.5μmだ」
「その先は0.3μmだ」
という未来を本気で語っていました。

測長SEMが生まれる前夜

当時、パターン寸法測定にはオートテレコンと呼ばれる光学測定装置が使われていました。
しかし微細化が進むにつれて限界が見え始めました。
MOSゲートは理想的な矩形ではなく、エッチングによってテーパー形状になります。
ところがオートテレコンは焦点深度が浅く、どこを寸法として測定しているのかが曖昧になることがありました。
特に1μmクラス以下のゲートでは測定誤差が無視できなくなってきました。
私は大学院時代SEMで寸法測定を多用していた経験から、
「これからはSEMで直接測定しなければ意味がない」
と新入社員ながら生意気にも発言しました。
すると周囲からは、
「SEMはいちいち写真に撮って校正するのは難しい」
という意見もありました。
SEMで観察して初めてゲートがテーパー形状になっていることが明確にわかりました。
その後、日立製作所や日本電子などによって測長SEMが実用化され、現在では半導体製造に欠かせない装置となっています。
今振り返ると、あの頃は測長SEMが生まれきっかけだったような気がします。

装置メーカーとの共同開発

当時の開発は半導体メーカーだけで完結するものではありませんでした。
次世代プロセス開発において、プロセスエンジニアの重要な仕事の一つは、
「将来どのような装置が必要になるか」
を考えることでした。
微細化が進めば、
・より高精度な露光装置
・より均一な成膜装置
・より高性能なエッチング装置
が必要になります。
しかし、そのような装置はまだ存在していません。
そこで、
「こういう性能が欲しい」
「こういう機能が必要になる」
という要求仕様を装置メーカーへ提示し、共同で開発を進めていました。
デバイス、プロセス、回路、製造装置が一体となって未来の工場を作っていたのです。
私が印象に残っているのは、ある先輩が提案していたステッパー用レチクルチェンジャーです。当時のステッパーではレチクル交換を人手で行うことが一般的でした。
当時は少し未来の話のように聞こえましたが、現在ではレチクル自動搬送や自動交換は当たり前の技術となっています。
振り返ると、当時の技術者たちは単に目の前のプロセス開発をしていたのではありません。
10年後、20年後の工場を想像しながら議論していたのです。
少なくとも私の周囲では、
「技術開発が止まっていた」
という雰囲気は全くありませんでした。

現在のチップレット技術につながる研究もあった

当時はシステム・オン・シリコンやシリコン・オン・シリコンと呼ばれる研究も行われていました。これは、大きなシリコン配線基板上にLSIを複数フリップチップで搭載して高度なシステムモジュールを作製する技術です。
これは現在の、
・シリコンインターポーザ
・2.5D実装
・チップレット
・ヘテロジニアス集積
につながる発想です。
つまり現在最先端と呼ばれている技術の多くは、その原型が既に存在していたのです。

今になって思い出すセンター長の言葉

当時、開発センター長がよく言っていた言葉があります。
「これからは、どう作るかではなく、何を作るかを考えろ」
当時の私は、その意味を十分理解できませんでした。
私たちは「どう作るか」に全力を注いでいたからです。
しかし今振り返ると、センター長は市場や事業の変化を見ていたのかもしれません。

ところが、その後に起きたこと

しかし、その後に私が耳にするようになったのは、技術開発の話よりも組織再編の話でした。
昔の同僚や先輩から聞こえてくるのは、
・リストラ
・配置転換
・工場統合
・開発部門縮小
の話ばかりでした。
私より少し上の先輩は、開発センターから工場へ異動しました。
当時の私は、
「能力の問題なのだろう」
と思っていました。
しかし後から考えると、そうではなかったようです。
開発テーマそのものが減り、組織再編が進んでいたのです。
また、中央の開発部門から工場へ移った技術者や、海外企業へ招かれて渡った技術者の話も耳にしました。
さらに私が所属していたデバイス開発センターも、その後売却されることになります。

技術資産はどこへ行ったのか

私は最近、先端半導体の話題を見るたびに、別のことを考えます。
それは、
「日本の半導体メーカーが持っていた本当の資産とは何だったのだろうか」
ということです。
日立のマザー工場には膨大な技術データが存在していました。
例えば解析用ウェットエッチングだけでも、
・薬液条件
・エッチレート
・選択比
・不良解析データ
などが蓄積されていました。
それらはプロセス技術開発部が体系的に取得したデータだけではありません。
不良解析や歩留まり改善、開発の試行錯誤の中から生まれたデータも数多く含まれていました。
私は今でも思います。
あれだけのデータを、一人の技術者が一生かかって再取得することは不可能ではないか、と。
半導体メーカーの財産というと、工場や装置、特許が注目されがちです。
しかし本当に価値があったのは、長年蓄積された技術データ、不良解析事例、そして技術者たちの経験や知識だったのではないでしょうか。
近年、TSMCの成功が語られることが増えました。私も講演を聞く機会がありましたが、強く感じたのは技術力だけではありません。
工程管理、データ蓄積、不良解析、標準化、技術継承を徹底する文化です。
私が若い頃に見ていた日本の大手半導体メーカーの開発現場にも、そのような文化は確かに存在していました。
TSMCは、そうした組織知を継続的に蓄積し、次の世代へ受け継ぐことに成功した企業なのではないかと感じています。
技術開発は個人の能力だけでは成り立ちません。
長年蓄積された知識や経験を組織として活用できるかどうかが、企業の競争力を左右するのだと思います。

AI時代になっても変わらないこと

現在はAIや先端プロセスが注目されています。
しかし半導体開発の本質は、私が若手技術者だった頃とそれほど変わっていないように思います。
現場で不良や特性変動が起きたとき、重要なのは単にデータを見ることではありません。
「なぜこの現象が起きたのか」
「どの工程が関係しているのか」
「次に何を確認すべきか」
を考えることです。
例えばMOSFETのしきい値電圧(Vth)が変動した場合、注入工程、エッチング工程、フォト工程、熱処理工程など、複数の可能性を考えながら原因を絞り込んでいきます。
その判断は、過去の開発経験、不良解析の蓄積、そして技術者同士の議論によって支えられています。
AIは有力な支援ツールになるでしょう。
しかし、現象を観察し、仮説を立て、実験で確かめ、結果を蓄積し、次の世代へ伝えるという基本は、今も変わっていないと思います。
むしろAI時代だからこそ、その土台となる技術データや組織知をどう継承するかが、ますます重要になるのではないでしょうか。

半導体技術者として思うこと

私の周りの技術者たちは、
・0.5μmを語り
・0.3μmを語り
・測長SEMを語り
・シリコン・オン・シリコンを語り
・未来の工場を語っていました。
当時の私たちは、日本の半導体産業がこれほど大きく姿を変えるとは想像していませんでした。
少なくとも私には、日本の半導体技術が停滞していたようには見えなかったのです。
私が見ていた現場には、確かに技術がありました。
そして、その技術を育てる現場力もありました。
開発現場では、技術は着実に進歩し続けていたのです。
しかし今振り返ると、問題は技術そのものではなかったのかもしれません。
むしろ、その技術を支える組織や人材、そして長年蓄積された組織知を継承していくことが難しくなっていったのではないでしょうか。
私たちが今考えるべきことは、長年蓄積された技術や組織知を、どのように次世代へ伝えていくかです。
私が現在、技術者育成や技術継承に取り組んでいるのも、そのためです。

Latest Comments

表示できるコメントはありません。
Verified by MonsterInsights